音の匠・菅野沖彦・昭和のジャズ「モダン・スイング・シリーズ」森山浩志×KENNY稲岡

伝説のTRIOレーベルジャズ、そのセレクト企画第二弾として、“音の匠・菅野沖彦・昭和のジャズ 「モダン・スイング・シリーズ」”と題した全15タイトルがCDで発売されることになった。“オーディオの神様”、また録音エンジニアの名匠としても知られる菅野沖彦氏とコンビを組み、数多くの名作を世に送りだした元オーディオ・ラボのプロデューサー森山浩志氏を招き、当時のエピソードや各作品の聴きどころなど、貴重な話をたっぷりと語ってもらった。

【進行役:浅井 有(UNIVERSAL MUSIC)Text & Photo by 山口 宗】


イントロダクション:オーディオのカリスマ、そして録音エンジニアとしての菅野沖彦氏について



いまだに菅野さんの自宅で聴かせてもらった再生音以上の音、というのを聴いたことがないんです。― 稲岡
私の知る限り、菅野さん以上の人はいなかったと思います。― 森山

稲岡:森山さん、菅野さんとはトリオ(注:トリオレコード)で、相当な数のお仕事をされています。たしか全部で50本近くあったかと思うのですが。

森山:それはレコードで、ということですよね? というのは、オーディオ・ラボという会社を設立した時、ちょうど4チャンネルのブームが重なっていて、当時いろいろなオーディオメーカーから、オーディオショー向けの特別プログラムを作ってくれ、という注文が8社くらいからあったんですよ。そういうものは発売されなかったけれど、たしか、レコードに関してはそのくらいじゃないでしょうか。

稲岡:そもそも森山さんが、どういうきっかけで菅野さんとお仕事を始められたのか、お話しいただけますか?

森山:僕がスイングジャーナルにいた時、オーディオのページを担当するようになり、誰か顧問としていい人はいないかと思って、色々な人に訊いたところ、菅野沖彦という人がいる、と。彼は当時、朝日ソノラマの編集長をしていたのですが、それでさっそく菅野さんを訪ねていった、というのが出会いです。菅野さんとは、とても価値観が合うというか、フィーリングが合って、仕事以外でも一緒にお茶を飲んだりするような間柄になった。そしてある日、スイングジャーナルを辞めようと思い、それを菅野さんに話したら、「いや、実はオレも今ここを辞めようと思っていて、レコード制作会社を立ち上げようと思っているんだけど、君、手伝ってくれないか?」と。「いやあ、菅野さんだったら、喜んで、地獄へでも何処へでも行きますよ」と返事をしたのが始まりです。

稲岡:そうして菅野さんは、森山さんとオーディオ・ラボという制作会社を立ち上げます。それと同時に菅野さんは、オーディオ評論家としての仕事も始められたわけですよね。

森山:評論家の仕事は、僕がスイングジャーナルにいた頃からやってらっしゃいました。

稲岡:僕らにとって菅野さんという人は、スイングジャーナルやステレオの専門誌を通じて、オーディオ評論家のカリスマ的な存在でした。つまり今の団塊の世代と言われている人たちにとって、おそらく菅野沖彦という人はオーディオの「カリスマ」なわけです。

森山:神様です。

稲岡:菅野さんが褒めたものであれば、とにかく間違いはない、と。私の感覚では、そういう存在としての菅野さんがあり、一方で録音エンジニア、という二つの顔があった。そういうところから今回、「菅野沖彦・音の匠=昭和のジャズ」というタイトルを作ったわけです。私にとっては、オーディオ評論家というよりも、どちらかというとレコーディング・エンジニアとしての菅野さん、ということになるのですが。一番初めにトリオで制作したのは、「京の音」ですよね?

森山:だったかもしれません。

稲岡:「京の音」というのは、京都の四季を音で綴る、という、3枚組のドキュメンタリーがあって、これは芸術選奨を受賞した素晴らしいものです。

森山:鐘の音とか祭りの音、声明など、京都に残る伝統的な音を、1年半くらいにわたって録り歩いたんですよ。

稲岡:菅野さんの魅力を、いわゆる団塊世代を中心に前後の人たちに、もう一度想い起していただきたいと思うのですが、ここであらためてオーディオのカリスマ、そして録音エンジニアという二つの面を、補足したいと思います。菅野さんのご自宅は応接間がリスニングルームになっていて、再生装置が置いてあるんです。私も初めてそこに行って音を聴かせてもらったのですが、その後、色々なところで色々な音を聴いたけれど、いまだに菅野さんの自宅で聴かせてもらった再生音以上の音、というのを聴いたことがないんです。どういうことかと言うと、ご自分の録音、たとえば北村(英治)グループが演奏したレコードをかけると、そこにバンドがそのまま立ち現れるんですよ。前後、左右、奥行きと、拡がりを持ってそれぞれメンバーが演奏している位置で。その音がまた非常に自然で、バンドが本当に眼の前にいるような感覚になり、とても驚きました。それからしばらくして菅野さんは、マンフレート・アイヒャーというECMのプロデューサーが来日した時に、彼を自宅に呼んだんです。そうしたらアイヒャーもびっくりして、菅野の音は凄い、と。そこから例の、キース・ジャレットの「サンベア・コンサート」という、10枚組シリーズの録音を菅野さんが担当することになったわけです。もちろん僕らの推薦もあったのだけれど、それ以前に、菅野さんはやっぱりアイヒャーに共鳴するところがあって、自分のリスニングルームに呼んで音を聴かせているんですね。それでアイヒャーも納得して、キース・ジャレットの10枚の録音を任せよう、ということになった。菅野さんは、そういう人です。全てにおいて一流好み、こだわりがあるんですよね。私の知っている中では、オーディオは別としてパイプと、車。車は、ポルシェと、

森山:ベンツ。

稲岡:乗っていましたね。スイングジャーナルで校正ミスの誤植が出るとクルマを磨かせるというペナルティを課していました。

浅井:菅野さんという方は、卓越した録音技術をお持ちであること以外に、やっぱりこういう部分が他のエンジニアとは圧倒的に違っていた、ということは何かありますか?例えば、ミュージシャンとのコミュニケーション能力が高かった、とか、その時々の録音で意図するポイントの把握の仕方が、格段に速かった、など。あるいはテクノロジー的にすぐれていることを、他のエンジニアとは違うレベルで早く取り入れていた、とか。

稲岡:テクノロジー的な部分で言うと、彼は、極力マイクの数を少なくしていました。マイクというのは数を多くすればするほど、つまり一つの音を色々なマイクで録ると、位相がかぶって濁るんですよ。だから彼はなるべくマイクの数を減らしていた。マイクの選別とポジショニング、アングル、いわゆるマイキングで勝負をする。これは、マンフレート・アイヒャーのコンセプトに基本的には通じることです。それと、ミックスというのはしなかったですね。基本的に「一発録り」です。その場でまんま録って、おしまい。だから、後でいじったり、何か手を加えたり、というのは一切なし。その辺に、非常に音が新鮮、という理由があるのだと思います。後でいじればいじるほど、音というのは濁ってくるんですよ。

森山:菅野さん自身、ピアノを弾いていたんですよ。別にプロでやるほどではないけれども。だからピアノの音には、特にうるさかった。それから、彼はいつもホールを選んだ。いま稲岡さんが、眼の前に現れる感じがする、と言ったのは、ホール・トーンを非常に活かした録り方をしていたからです。BLUE NOTEをやったルディ・ヴァンゲルダーという人は、楽器一つ一つの音をもの凄くクリアに録って、それをミックスした音なわけでしょ。ドラム、ラッパ、ベースが、もの凄くクリアな音で入っている。そうじゃなくて、菅野さんはどちらかといえば、ウエスト・コーストのロイ・デュナン的な録音をやっていた。つまり、空間と混じり合った音をキャッチする、というやり方で。それによって、より音楽性が高くなるわけです。僕がスイングジャーナルにいた時に、よくそんな話をしたんだけど、オーディオ的に何が「いい録音」なのか、ということを一口に言うと、「情報量が豊富」ということなんです。菅野さんの録音は、ものすごく豊富な情報が入っている。それを良い再生機で聴くと、いっぱい詰まっている情報が全部出てくる。だから、稲岡さんがさっき言ったのは、いっぱい詰まった情報が、まさに眼の前に現れたから、そういうリアリティーを感じたのだと思う。簡単に言ってしまえばそういうことだけれど、だからと言って、はい、わかりました、それじゃあ俺もやってみよう、というわけにはいかない(笑)。マイクやミキサーなど、いろいろな機材に関する知識はもちろんのこと、やっぱり音楽的な感性が土台にないとできない。例えば、北村英治がクラリネットを吹いている、このクラリネットの音、情報を100パーセント収録するには、どうしたらよいかというのは、誰でも簡単に答えを出せるものではない。それは菅野さんの、一言でいえば、感性、だと思う。それに加えて、ものすごく頭のいい人なので、つまり、明晰な頭脳と、豊かな感性の両方を兼ね備えた、稀有な存在の人だったわけです。だから、オーディオ評論家として、あるいはミキサーとしても、私の知る限り、菅野さん以上の人はいなかったと思います。

稲岡:菅野さんは基本的にスタジオでは録らなかったんですよ、必ずホールでしたね。

森山:ホールを活かして、豊かな楽器の音色を収録する、というのが、菅野さんの根底にあった。だから、ライヴ録音は少ないです。

レコーダーを操作する菅野沖彦氏、立っているのがプロデューサーの森山浩志氏(1969年頃)
提供:森山浩志氏 無断転載・複製禁止


森山浩志

森山浩志(もりやま・ひろし)

1936年、横浜生まれ。国学院大卒。
ジャズ専門誌「スイングジャーナル」社を経て、菅野沖彦が主宰するオーディオ・ラボ社で、 ジャズ・レコードのプロデューサー兼ディレクターとして活躍。トリオ・レーベル、オーディオ ラボ・レーベルなどで多数のジャズ・レコードを制作

Kenny 稲岡(ケニー・いなおか)

1943 年、兵庫県伊丹市生まれ、東京都 武蔵野市育ち。
1972年、トリオ株式会社レコード事業部 (トリオレコード)入社。
1973年、独ECMと独占契約、以後10年間 レーベル・マネジャー。
2004年よりウェブ・マガジン「Jazz Tokyo」 編集長。
URL : http://www.jazztokyo.com/
著書に、『増補改訂版ECMの真実』 (河出書房新社)、
共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)、
編著に『ECM catalog』他。




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