尾川雄介監修シリーズ「反逆のジャズ」紙ジャケCD15タイトル発売記念企画 脱世代対談 〜70年代日本のジャズ インディペンデント魂、トリオレコード〜KENNY稲岡×尾川雄介

“いや、もう本当に。死にたくなるくらいに眠かった(笑)。それが強烈に印象に残っている。”
― KENNY稲岡



1. イントロダクション



●「反逆のジャズ」シリーズ、そしてトリオレコードとは?

浅井:今回、尾川さんに監修していただいた「反逆のジャズ」シリーズですが、 そもそもトリオレコード(以下、トリオ)がどのように出来上がってきたのか、というところを、時代を追ってお話いただきたいと思います。

稲岡: まずは尾川さんに、「反逆のジャズ」というタイトルがどのようにつけられたのか、そこからお話を伺いたいのですが(笑)。

尾川、浅井:そこからですか!?(笑)。

尾川:今回シリーズ化するにあたり、とにかく何か「うまい一言」を付けないといけない、というプレッシャーが、ものすごくありました。

稲岡:そうでしょうね。

尾川:最近出版された「インディペンデント・ブラック・ジャズ・オブ・アメリカ」(尾川 雄介、塚本 謙 著、リットーミュージック)的な観点でトリオの中から選ぶのであれば、なんとなくこの辺かな、というイメージはあって、20タイトルくらいはすぐに絞ることができました。 ただ、どうしてもタイトルとなる言葉がついてこない。音楽的な幅も広いしなかなか「うまい一言」が浮かばなくて、最後にしぼり出したのが「レベル・ジャズ(REBEL JAZZ)」=「反逆のジャズ」でした。 「反逆」という言葉に色々な意味を込めました。既存のジャズへの反逆であり、時代への反逆であり、自分自身が今までやってきたジャズへの反逆でもあり。そういった広い意味での「反逆」精神を持って録音されたであろう作品が並んだイメージから今回のタイトルに決まりました。

浅井:なるほど。稲岡さんいかがですか?

稲岡:僕は正直なところ、「反逆のジャズ」がこれにふさわしいのかな?という気が一瞬してね。 いや、別にこだわっているわけではなくて、ただ、どういう風にタイトルが決まったのか、とても興味があったので伺っておきたかった。

尾川:本当に、言葉は後付けです。 イメージはすごくあって、たぶん、この15タイトルを並べたときに、僕としてはある意味、してやったり、というか。わかる方には「あ、なるほど、あの感じね」と思ってもらえる。ただそこに言葉が追いつかなかった。

浅井:トリオ自体が、すごくインディペンデント精神がある、という印象を持っています。 当時ある程度の大御所レーベルばかりがやっていた中、これからお話がいっぱい出てくると思いますが、ミュージシャン単独のアルバムを日本だけで制作するなど、まさに稲岡さんがやってこられたこと自体に、今回のタイトルが「ニュアンス」として感じられるのではないでしょうか。

●トリオレコードのはじまり

稲岡:トリオレコードがどうしてそういう風になったか、という経緯をお話しすると、 トリオというのはそもそもステレオトリオのレコード事業部門で、僕はそこに海外渉外の担当として入社した。 当時はまだオーディオブームが続いていて、オーディオメーカーは儲かっていた。トリオ、山水、パイオニアが「オーディオ御三家」と言われていた時代ですよ。
たまたま当時のトリオの社長は、音楽教師上がりで、息子さんもバイオリンを趣味で弾いている、というような人 。だから、良いハードを造るには、良質の音楽がないとダメだ、という考えをもっていた。 どんなに機器のスペックが良くても、「良い音楽」として再生できないと意味がない。トリオはいち早くそこに目を付け、ハードを造るだけでなく、良質の音源もトリオが提供し、それをトリオの良い再生装置で再生してこそ、本当に聴いてほしい音を聴いてもらえる、という発想から、自社にレコード事業部を発足させた。 僕はそこに渉外として入り、とにかくイメージアップのために、海外から良質の音楽を獲得してくれ、と言われていた。 他に誰もやる人がいなかったから、いつの間に制作も担当することになった。 もちろん教えてくれる先輩なんかいなかったから、自分が手探りで好きなようにやることができた。 しかも、いい音をつくる、という会社のポリシーがあったから、それにのっとってやってきたわけです。

尾川:もともとジャズは好きでした?

稲岡:ジャズを聴き始めたのは、大学に入ってからです。大学に入ったのは1963年。 入学祝いに、当時はやっていた家具調で、ラジオと一体型のステレオを親に買ってもらった。 ちょうどNHKがFM放送を始めた頃で、FMでアメリカ音楽特集を聴き、ガーシュウィンからジャズに興味を持ったんです。 在学中は吉祥寺や新宿、渋谷のジャズ喫茶やライヴハウスなんかに、ずいぶん通っていた。ちょうど僕が大学卒業した年に、コルトレーンが亡くなったんですよ。

尾川:1967年ですね。

稲岡:大学を卒業してから5年間は、堅気の商社に勤めていたんです。

尾川:出られてすぐではなかったのですね。

稲岡:ドイツ人の商社で5年間、輸出入や、技術提携のことなどを学んでいたから、次はプラントの輸出を手掛ける話が決まっていたんです。 そうしたら、たまたま義兄とトリオの創業者、中野社長の息子が、同じ銀行に出向していて、トリオが本格的にレコード事業をやることになった、という話になって。義兄からその話を聞いて、僕も新しいことをやるのが好きだったから、すでに決まっていた会社を蹴って、トリオに転職したんです。プラントメーカーを紹介してくれたのも義兄だったから、義兄は困っていましたけどね。

尾川:そうだったんですか。

稲岡:もともとトリオがそういう姿勢の会社でしたから。新しいことに挑戦する、とか、良質の音源を探してくる、とか。 そういう意味でも、ECMなんかは本当に打ってつけだったんじゃないでしょうか。

尾川:もし稲岡さんがジャズを好きじゃなかったら、トリオはジャズに特化したレーベルにはならなかったでしょうね?

稲岡:全然ならなかったでしょう。

●トリオレコードのスタート、驚愕の第一弾とは?

浅井:そうしてトリオに入られて、最初のレコードというのは?

稲岡:いや、だからもう、ビックリしたのは、最初に制作したのがあれですよ。 セシル・テイラーの、ライヴ・イン・ジャパン。

尾川、浅井:ええーーーーーーーーーーーーっ?? (驚きのあまり、しばし沈黙)

浅井:いきなり、それですか?

稲岡:あれが最初ですよ(笑)。

尾川:す、すごいですね・・・。

稲岡:僕は実際、録音のことは詳しくは知らなかったけど、トリオのレコード事業部に録音セクションがある、 ということは知っていた。プロモーターの鯉沼さん(注:鯉沼利成氏、鯉沼ミュージック代表)から「セシル・テイラーに話をしたよ!」と言われたら、録音セクションの課長はもう、びっくりしちゃってね。外録なんかあんまりやった経験ないし。しかも、いきなりセシル・テイラーだから…。

尾川:ライヴ・アルバムとしても、トリオはこれが初だった。

稲岡:そう、だからもう、とにかくやろう、何事もやらないと始まらないから、ということでやった。 だけど、これが大変だったんですよ。なかなかセシル・テイラーからOKが出なくて。

尾川:録音すること自体を、ですか?

稲岡:そう。とりあえずテープを回してくれ、と。終わって、聴いて良かったら発売してもいい、という条件になった。 録音が終わったら、セシルが泊まっているホテルの部屋にオープンリールを持ち込んで、ボタンを押せば音が鳴るようにセットしておいた。

尾川、浅井:ほんとですか?すごいなぁ(笑)

稲岡:セシルが食事から帰ってきた。でも、このアルバムを聴けばわかるけど、 彼はもう、あらためて聴くまでもなくいい演奏ができた、ということがわかっていた。 部屋にデッキを引き取りに行ってみたら、ほんの2、3分だけ再生した跡が残っていて、発売のOKが出た。ライヴ録音が頭にあったから、より素晴らしい演奏になったのでは、とも考えられます。

尾川:ほんとに、音質のチェックだけをした程度で。

稲岡:そうですね。たぶん、この録音の状態は必ずしもベストではないかも知れない。 まだ録音のセクションがライヴ録音に慣れていない上に、サウンド・チェックは無いし、2部はいきなりダンスですからね。 でもこういう演奏だから、ものすごく臨場感があって、今でもこれを聴くとエキサイトします。

尾川:そうですよね。

稲岡:この時に、鯉沼さんが菅野さん(注:菅野沖彦氏、エンジニア)を雇って、スタジオ、というかホールでソロを録音した。

尾川:白いジャケットのほうですね。

稲岡:そう、だからセシル・テイラーに関しては、このライヴ2枚組と、スタジオのソロとを、最初に発売したわけです。

稲岡:その年の7月に、副島さん(副島輝人、ジャズ評論家 2014年7月12日死去)が、「Inspiration & Power」という、二週間のコンサート・シリーズの企画を立てて、トリオに後援の相談に来られた。 内容を聞いたら、当時の日本のフリージャズ系メンバーがほぼ全員出演する、というので、ぜひ録らせて欲しいと申し出た。 ところが、場所が新宿のアートシアターという映画館で、夜の部の上映が終わってからしか使えない。二週間も押さえられるところが他になかったから。映画の最終回が ハネてから、大急ぎでセッティングする。片付けて、翌日、映画がハネたらまたセッティング、というのを二週間続けたわけです。

尾川:すごいですね。

稲岡:とりあえずそれを2枚組のオムニバスで出そう、ということになって発売したのですが、1グループ90分くらいで、全部で14グループの録音が残っていたはずです。 

浅井:稲岡さんは、毎日行かれたのですか?

稲岡:もちろんですよ、僕が言い出しっぺで、担当ディレクターだから。 その時の話でね、当時はまだ会社の組合活動が盛んだった時代で、一緒にやっていたアシスタント・エンジニアが、録音している途中に、「僕は組合員でスト中だから、今日はこれで帰ります」って帰っちゃった、なんてことがあった(笑)。初期のころは、こういうアクシデントがいっぱいあったんですよ。

尾川雄介

尾川雄介

中古レコード店<ユニバーサウンズ>店主。 ジャズ〜ファンク〜レア・グルーヴ全般への 造詣が深く、再発シリーズ <Deep Jazz Reality> の監修、レーベル<universounds>の運営、 DJ、ライターなど幅広く活動している。

URL : http://www.universounds.net/
1971年、北海道札幌市生まれ。
1992年、上京。
2001年、ユニバーサウンズ開店
2006年より再発シリーズ Deep Jazz Reality を監修。
共著に『和ジャズ・ディスク・ガイド』 (リットー・ミュージック)、『インディ ペンデント・ブラック・ジャズ・オブ・ アメリカ』(同)など。

KENNY稲岡

Kenny 稲岡

1943 年、兵庫県伊丹市生まれ、東京都 武蔵野市育ち。
1972年、トリオ株式会社レコード事業部 (トリオレコード)入社。
1973年、独ECMと独占契約、以後10年間 レーベル・マネジャー。
2004年よりウェブ・マガジン「Jazz Tokyo」 編集長。

URL : http://www.jazztokyo.com/
著書に、『増補改訂版ECMの真実』 (河出書房新社)、
共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)、
編著に『ECM catalog』他。




Text by 山口 宗/佐藤直子 Photo by 山口 宗
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